殴り書きをして気持ちを放出する
さて、前の記事からは366日ほど経ったらしい。
1年はあっという間だ。
と言うことは容易いが、思い直すとたぶんそんなにあっという間ではなかったと考える。
何もなかったなって日だって、恐らく話そうと思えば「朝起きてオリジン弁当食って、洗濯物干したら家を出て、横浜のラウンドワンかなんかで音ゲーちょろっとやって、家帰ってテレビ見ながら雑なソシャゲやって、シャワー浴びて寝る」
くらいは話せるだろう。
そんな1年(どんな?)だったが、考えることは様々ある。
まあ一番手近な所だとお金がない、とか。
しょうもないな。
最近は夜になって、今ブログを書いているような時間にもなると妙な考えにふけるようになってくる。
移動中はアニメ見てるか音楽聴くかしているし、日中は仕事のことばっか考えてるし、夜のこんな時間くらいだ。
なんとなく、こう、もう10年経ったら何をしてるとか、今大地震が起きたら死ぬんかなとか、隣の部屋はまた彼氏がスピッツ歌ってるとか、これは隣の部屋が悪いな。
ニュースとか見ても、タイムラインの荒れてる話題を見ても、どうも乗っかろうとか意見を出そうとかいう気にもならない。
ヤフコメを見ながら、こんな人ばかりいる国に住んでいて、自分はそういう人じゃないという自意識を高めながら、先述のなんの答えもなさそうな考えをグルグルさせている。
いつまで続くのだろう。
一人暮らしじゃなくなったら、終わるのだろうか?
そんな予定は未だある気配を見せないが。
自分はものを捨てるのとかがヘタクソなので、家にはペットボトルが激しく散乱している。
流石に燃えるゴミは放置しすぎると臭いので、なんとか捨てているが、どうにも水曜日はゴミの収集時間に起きれない。
でも、家にある大量のCDなり本なりはそろそろ処分しようと考えている。
「続けることが目的」になったらたぶんやめた方が良いんだな、と。
と言うことでこのブログの文初と文末の文句もやめてみた。
何年越しだろう。10年ちょっと越しかな。
持つことが目的になっているCDや本も同じ理由で、もう読んでないし、聴いてなかったり端末で聞けたり、するもんね。
あとは買うことが目的になってたような気がするアイカツの関連商品とか、どうしようかな。
たぶん「自分でコンテンツのアイテムにお金を払った」時点で欲求が満たされているケースも多いんだよな。レコードとか。フィギュアもそうかも。飾る人じゃないので。
いつか読むときがまたあるのでは、とも思うんだけど、恐らくその時はまた買い戻せるだろうし。余程の物じゃなければ。
そういえば、PCクッションあかりちゃん、不在票が入ってたな。
そんなこんなで、クリスマスも終わり、25歳の男はクリスマスと呼ばれがちな2日間敢えてツイートをしないでここに文章を書くというひねくれきったことをした。
もうそういう芸にも疲れたし見る必要性もなくなってきた。
ここで飽きたと言わないのは、逆張りで鉄板ネタに飽きたという人がイヤだからかな。
逆張りの逆張りはもはや表ではないのかとグルグルさせながら、ひどくしょうもない怨嗟を書いている。
そういえばI'm a loserも今年やらなかったな。多分やらなかったのはギタドラ始めて以来初めて、すなわち12年ぶりくらいか。
別に自分が勝ち組になったからとかでは一切なく、むしろ(一般的に言うところでは)負けまっしぐらだ。
そう言うのも、「クリスマスに怨を込めてプレイする」っていうところから「クリスマスにやる」だけ残っちゃったことに気付いたからかな。
いや、疲れてるだけかも。ゲーセンに寄れる時間に帰れてないだけかも。
こんな駄文を今後も書いていく気持ちがあるかもしれない。
でも、次の記事は1年後かも。そういう人なので。