今日が生まれ変わるセンセイション

今わたし達が 駆け抜ける毎日も 懐かしくなるのかな

就活日記

どーも、今年最初の記事にしておそらく平成最後の記事であろう、管理人です。

今更なんですが、「管理人です」を中1~浪人生のころまで書いていたブログからずっと使用していたわけなんですが、別にFC2ブログで書いてたんだからお前はFC2の管理人でも何でもないよなって思いました。

当時は管理人というネーミングにあこがれていたんだと思います。

 

社会に出て8か月ほどたった話。

早いものですね。

 

つい2日ほど前もつくばに来て最高なメンバー(?)とクリスマスパーティをしていたばかりなので、割と気持ち的にはまだつくばにいるような感じです。

そうかな?

 

多分裏側では

adventar.org

がやっている頃でしょう。

自分はもうklisではないのでアレですが、何となくクリスマスに記事を書いています。

 

就活の話はTwitterとかでも全然していなかったので、今ならもう書いても大丈夫かなと思ったので書きます。

といっても普通に失敗談ってだけなので、そんなに面白いものではありません。

 

2017年1月くらい

就活を始めます。この時期からバリバリ説明会とかやっているところもあるので、試しにいくつか行ってみます。

このころは週に1回東京に行くって感じでしょうか。

 

2017年3月

本格的に始めます。まず初手にOfferBoxというサイトに登録してみました。

いわゆる逆求人サイトですね。

あとは自分が行きたいところにガーっとエントリーする感じで。

OfferBox、結構オファーが来ます。

これは自分が自己アピールシートに最高プレゼンバトルの話を書きまくっていたからなのかどうかは不明です。

とりあえずスタンスとして、オファーが来たところは基本断らずに最低でも話は聞きに行くという感じにしてみました。

それに加えて自らエントリーしているのも含めると結構ミチミチに説明会や面接が詰まるスケジュールになっていきました。

 

2017年4月

このころは週に3回くらい東京に出ていたと思います。

ちなみに東京に出たときはつくばではメンテが悪くてできない音ゲーを存分にやるということが多く、GAO大久保店やスマイル館お茶の水店にはお世話になりました。どっちも閉店したけど。

 

SPIはこの時期に1回だけ秋葉原で受けました。特に対策はしていなかったのですが、これを使用する選考はそこそこ通ったので大丈夫なんかなと思って結局1回しか受けませんでした。

 

ちなみにこのころインターンから直接内定でももらえたらいいんじゃないかと思っていろんなインターンの選考も受けました。どこも通らなかったけど。

 

2017年6月

面接がめっちゃ増えてきます。

着手発表はまあいい感じに決意表明をして済ませ、バリバリ東京に行っていました。

 

数受けようというスタイルでやっていたので、履歴書はパソコンで作成して印刷して持っていく、証明写真は適当に撮ったのを普通に写真で印刷しまくってはっつけて、ESはOpenESが使えるのなら流用したり、文章を保管しておいて近い質問の時はそのまま使うとかそんな感じでエントリーには時間をかけず、バンバン出してました。

今考えると証明写真はまじめに撮っておいたほうがよかったなと思います。

 

あと2月くらいからは睡眠の失敗っぷりが酷く、午前6時に寝るみたいな状態になっていたので、睡眠内科を受診したり保健管理センターの精神科に行って睡眠薬貰ったりしていました。

 

2017年8月

この辺になってくると3月~6月にエントリーしたものが全滅して、次のターゲットを絞る必要が出てきました。

まあでも即落ちみたいなのは少なくて最終まで行ったり、最高プレゼンライブの話がウケたり、手ごたえはあったのでいずれもらえるだろうという気持ちで、焦りはありませんでした。

若干出す職種を広げたりしながら、主にOfferBoxのオファーを受けに行く形で進めていました。

就活アドバイザーみたいなのに相談し始めたのもこのころでしょうか。

アドバイザーからもらう求人もとりあえず話は聞きに行ってました。

ちなみに最終的に就活アドバイザーみたいなのは5社ほど相談しに行っています。

 

2017年9月

教育実習がありましたので、3週間就活は中断です。

......と思ったら土曜日に説明会や面接が入れられるところがあってそういうのに週末行っていました。

教育実習中に教員ではない就活をするの、本当にわからない。

それでこのタイミングで1社内定をもらいます。

まあとりあえず行きますよって返事だけ言っておいてそのまま就活は続行しました。

 

2017年10月

中間発表は教育実習終わり翌週なので、そりゃあ厳しかったです。

あとこのころ最高プレゼンライブがありました。

 

困ったところとして、就活に時間がかかりすぎて交通費が厳しい状態になりました。

自分で賄えるものでは到底なく、親から少し支援をしてもらっていたのですが、長引きすぎていたのでそれも少し気が引けるような感じに。

 

2017年11月

そろそろ焦ってきます。

選択肢が減ってきたので、アドバイザーからもらう求人がメインになってきます。

このあたりでも最終面接に3回くらい行って落ちてた覚えがあります。

社長と話が盛り上がって姿勢を崩して身を乗り出して話していたのがよくなかったのか、はたまた顔か、はたまた性格診断か、学歴か、能力か、まあいろいろあるんだと思いますが、そのうち半分くらいは割とどうにもならない部分なのでまあ貰えるでしょうという気持ちでやってました。

もう自己分析のターンなんてとっくに過ぎてるし。

 

2017年12月

ここまでくると焦るというよりかは何一つ間に合ってない状態になります。

この時、卒業を賭けた単位が6単位ほど残っていた状態だったので、テストなりレポートなりもありました。

また、自分は同時並行で作業をするなんて無理なのは分かりきっていたので、就活をサッと終わらせて、そのあとに卒論に集中して取り組もうという算段で頭から就活をしていました。

ただ卒論提出日までに就活が終わらないということがほぼ確定的になってしまい、卒論はもうひどいもんです。

(東京で就活に行き過ぎてゼミを休んだりしまくっていたのもあります)

そんでもって卒論提出週は授業があり、東京で面接があり、教育実習事後指導で1日拘束されたり、まあ書けるもんじゃない状態でした。

いろいろと助けがあって提出はできましたが。

 

ちなみにこのタイミングで9月に内定をもらっていた会社を断ります。

事前研修があり、そこで同僚になったであろう人らとグループワークをして、まったくそりが合わない人ばかりだった、というのが理由です。

協調性のない人と言われればそうかもしれませんが、自由に話すタイミングでギャンブルの話と女の話とボランティアの話ばかりされると、自分はちょっと苦手です。

 

2018年1月

最終発表の数日前も東京で面接です。

この辺りではとにかく就活アドバイザーのもとに行って今貰えそうな求人をもらってくる、みたいな雰囲気です。

もうオファーは来ません。

向こうもあと1人取るか取らないかみたいな求人ばかりなので、直前に求人終わったから面接なしでいいわwみたいな話とかも来たりします。

あとハローワークに行って職探ししました。

ハローワークで探すと自分が今まで見てこなかったような会社だったり紹介されたりオファーが来たりしなかったような会社がとにかくたくさん出てきます。

んでその分待遇も相応のものなので、結構困りました。

 

卒論の最終発表も何とか終わり、どうやら卒業できそうな感じになってきたところで新たな問題が浮上します。

卒業旅行に行けないという点です。

就活も終わってない状態で卒業旅行とかいっている場合では全くないので、まず周りとのスケジューリングで迷惑が掛かります。

さらに交通費でお金は完全に尽きている状態が続いているので、金銭面でも到底旅行に行ける状態ではありません。

そうはいっても飛行機を取ったわけで、その日までには終わらせていないといけない状態になりました。

 

2018年2月

最終的に決めたのは2月の10日くらいでしょうか。

ここに書けない理由も多々あり、内定をもらってから決断に至るまではすぐでした。

まあもう選択肢もほとんどないわけで。

就職浪人的なそれは出来ない理由があったので。

 

そのあとすぐ卒業旅行に行ったのですが、そこからも就活が押したことで様々な点で苦労しました。

まずすでに2月も終わりくらいのスタートだったので、部屋がありません。

最終的に職場からはかなり離れたところになりました。家賃はわりと安くなったので良いですが。

引っ越し業者も空いていません。最終的につくばのローカルな引っ越し業者に頼むことに成功しました。大手は単身引っ越しで15万とか20万とか吹っ掛けてきてさすがに笑いました。

 

最終的にエントリーした会社は170社ほど、面接を受けたのが100社くらいでしょうか。

最終面接は6回だったかな。

 

最初は就活が長引いても自分が困るだけなのでまあ別にと思っていたんですが、長引くにつれて様々なところに迷惑をかけ始めてしまい、申し訳ないというところが強くなっていきました。

しかもそれは就活をあきらめれば解決!とかそういうわけでもなく、かといって申し訳ない気持ちだけで会社が採用してくれるわけもないのでどうしようもない部分が非常につらかったです。

就活が滞ると卒論も滞るので、指導教員と研究室の人には多大な迷惑をかけました。

自分がやらかしたというよりもただ単純に力不足ってのが厳しいところです。

 

卒論は結局最初に自分がやりたかったことをほとんど達成できていないものになってしまいました。卒業研究が始まってから卒論の修正版提出締め切り日まですべて就活中だったので、非常に悔いが残る卒業研究になりました。

 

今は

元気に働いています。

やっと生活が若干安定してきました。

精神も安定していると思います。

ぐっすり寝れます。

 

大学4年の部分だけを見るとあまりにも失敗した1年間になりましたが、社会に出ての8か月は今のところ1年間いろいろあった選択の結果としては良いほうに転がったのかなと思います。

これからはまだわかりませんが、たぶん大丈夫でしょう。ここはポジティブに。

 

アドバイスでも何でもないですが、今卒論にだけ目を向けて書けている人はその時点で自分よりも出来ている人なので、大丈夫だと思います。

自分より早く進路を決めている人もみな自分よりすごい人なので、大丈夫だと思います。

あとは自分みたいな人が来年以降も、少なくとも知っている人のうちからは出ないことを祈ります。まあ大丈夫だと思います。

 

それでは~